社労士試験の不合格体験記!?惜しくも散ったトライ1年目の試験直前期をどう過ごしたのかを振り返る。

毎年5月くらいが社労士試験の申込時期です。。

社労士試験に無時に申し込みをすると、「いよいよ試験が近づいている」という緊張感が一気に増します。そして、「試験本番に間に合わないかも」という焦りがでてくるのもこの頃です。

日中は、相変わらず税務会計業務に悪戦苦闘しておりますので、社労士試験の勉強ができるのは、出社前の朝か、帰社後の夜、そして休日に限られます。

もっとも、試験が近づくにつれて昼間の昼食時にも少し勉強していました。

とにかく、仕事と両立しながらの勉強はとても大変です。

早朝の勉強も、せっかく朝の5時くらいにおきて机に座り基本書等を開くのですが、眠すぎて基本書の上で二度寝をしたことが何度もあります(-_-;)正直そんなに捗りませんでした。

他方、仕事を終えてからの勉強も、これまた拷問のようなものです。日中上司から厳しく絞られて疲労困憊して帰ってくるので、その状態から自分のエンジンをかけ直すのはなかなか難しいものがあります。

基本書の読み込みをしていると瞼が重く今にも寝てしまいそうになり、何度も自分を奮い立たせますが、結局は布団の上に寝転んでしまい朝を迎えるのがお決まりのパターンとなってしまいました。

振り返ってみると、一番捗ったのは休日での試験勉強です。土曜日と日曜日の2日間をフルに使い、たまにある3連休などは喜んで勉強していました。このようにして平日の試験勉強の遅れをカバーしていったのです。

予想模擬をやりすぎて過去問の感覚を鈍らせるという失敗

社労士試験申し込みを済ませた5月くらいから、一時過去問から離れて、各社労士試験予備校の出版する「社労士試験予想模擬」に集中しました。

あまり覚えていませんが、5~6社くらいが、その年の社労士試験予想模擬を出しており、それを全部購入しました。

1冊につき、5回分くらい予想模擬が入っているので、全部で25回+αくらい模擬試験を行いました(もちろん自宅で)。

このころの得点状況は、だいたい択一42点平均、選択式も25点平均くらいでした。

ただ、選択式については必ず1科目は基準点を下回る足切り状態だったので、選択式の1問の重みに苦しめられていた気がします。

「社労士試験合格もこの調子だとギリギリか・・・」

社労士試験合格の本番が日に日に近づいていたので、予想模擬を一つでも多くやろうと意気込んでいましたが、問題は解きっぱなしで、模擬の間違えたところの復習に時間をあまりかけられなくなっていました。

焦りが雪だるまのようにどんどん大きくなっていったので、ここで一つリセットしようと、過去問演習へ戻ることにしました。

ところが・・・

久しぶりに過去問集を解いてみると、「あれ?過去問てこんなむずかしかったっけ?」というくらい、問題があまり解けなくなっていました。めちゃくちゃ焦りましたね(-_-;)

おそらくですが、模擬試験をやりすぎて、予備校独特の問題に慣れてしまい、過去問で必要な感覚を忘れてしまったのだと思います。

予備校の問題は、結局のところ知識の確認的な問題が主です。試験に出そうな範囲の知識を得るにはとても良いのですが、社労士試験の本試験問題は、単なる知識の知ってる・知らないだけでは解けない独特の性格を持っている気がします。

7月に入りのこり2か月弱。この時期に過去問の感覚を忘れてしまったので今思えば失敗のひとつです。

社労士試験トライ1年目。直前期はどう過ごしたか。

7月~社労士試験前日までを、一般的に試験直前期といいます。

受験1年目のこの頃は、それまで必死にやった模擬試験集から離れて、基本に戻ることにしました。

・過去問

・一問一答

・基本書の読み込み

この3つに絞りました。

とにかく、8月の試験当日に自分の得点力がマックスになるために何をするのが有効的か、を考えました。勉強しなれた過去問、一問一答、基本書に立ち返り、いままで勉強したことを一から見直し、過去問の感覚を再び取り戻してから本番を迎えたほうが合格に一番近づけるとその時思いました。

8月に入るころには、基本書の読み込みを毎日していました。

前述したとおり、過去問や一問一答をやるごとに、そこで出た知識に〇印をつけていました。

それが功を奏したのか、各科目ごと、その丸印がついたところとその周辺+αを重点的に読み込むことができ、例えば労働基準法であれば1時間くらいですべてを読み終えるくらいになっていました。

(もっとも、1科目につき1時間~1時間半くらいは必要なので、10科目前後ある社労士試験科目全部を1周するには、12時間前後かかります。休日の2日間で社労士科目全体を1周復習する感覚です)

試験まで残り1週間。

ここまでくればもう時間に限りがありますので、新しいことはあまりやる必要はありません。

基本書の読み込みだけやりました。

私は、基本書の読み込みスピードをさらに上げ、2日で全体を回せるようにし、1週間で3回全体を読みました。

あとは、試験当日を迎えるだけ。十分ではないが、今の自分で試験本番を戦うのみ、と割り切りました。

ついに初めての社労士試験本番を経験する

やれるだけの勉強をやって迎えた初めての社労士試験本番。

試験地は石川県にしました。

私が受けたのは2011年の試験で、当時、東日本大震災がありました。その影響で、東京電力管内では計画停電などが実施されてました。

もともとは、東京ビックサイトで受けようかなと思いましたが、計画停電で夏場の社労士本試験がどうなるのかが不安だったので、東京電力管内は避けて選んだのです。

前日に車で石川県まで移動し、会場近くのアパホテルに泊ったのが懐かしい思い出です。

一応、前日に試験会場を下見に行きました。

アパホテルから試験会場までのルートと所要時間がわかれば、試験当日の移動も余裕をもっていけると考えたからです。

社労士試験は、その前年までは、午前中が選択式試験をやり、午後に択一式試験をやるスケジュールとなっていたのですが、この年は午前と午後が逆転し、午前中に択一試験が行われました。

気分的にも、択一試験➡選択式試験のほうが気が楽なので、ある意味よかったです。

選択式が先だと、選択式の出来不出来でメンタルに影響が出やすく、それを引きずって午後の択一試験に突入するのはマイナスの影響しかないといえるからです。

社労士試験当日は、やれるだけのことをやり切りました。

選択式の問題が「なんだかなぁ」という感じでしたが、とりあえず解き切りました。

終わってみればあっという間。

緊張はあまりしませんでした。むしろ、「もうこれで試験勉強から解放されるぞ!!」という

解放感でいっぱいでした。

社労士試験の自己採点、そして合格発表

社労士試験が終了すると、だいたいその日の夜には解答速報が出されます。

ドキドキですが、心を鬼にして自己採点をしました。

(ひとによっては社労士試験合格発表まで待つ人もいるようですが、試験結果が私は気になってしまうタイプなのでその日のうちに自己採点しました)

自己採点の結果は・・・

「うーん、微妙だな(-_-;)

選択式の足切りに引っかかるかも、というよりほぼ足切りだな・・・、ガクッΣ(゚д゚lll)ガーン」

択一試験は良さそうだったのですが、選択式で労災科目で1点だったのです。

1点では、おそらく救済措置もとられず、足切り濃厚でした。

社労士試験後は、どこかのサイトで合格点予想をやっており、それをみて一喜一憂しておりました。

「救済ありかも」「救済はない。よくて2点が基準点」

期待もありつつ、あとは神様にお願いするしかないと半分諦めの境地でした。

職場では、私が社労士試験を受験したことは知られていました。

当然、周りの皆から「どうだった?」と聞かれるのですが、

「ある科目で5点中1点しかとれなかったので、足切りでだもかもです・・・テヘッ(;^_^A」

と答えていました。一応強がってましたけど、内心がっくりしてました。

そんなこんなで時は経ち、11月の社労士試験合格発表当日。

ホームページで自分の受験番号を探しましたが、残念ながらありませんでした。

後日送られてきた試験結果通知はこちら↓

自己採点と同じ点数で、やはり労災の選択式1点が足切りとなっていました。

こうして、私の社労士試験1回目が終わりました。

不貞腐れて、翌年4月まで試験勉強を放棄した

労災1点に泣いた今回の社労士試験。

確か、問題の中にテニスボールだとか10円玉だとか、よくわからないワードがならんでおり、当時の私には解けませんでした。

「くそー!変な問題を出しやがって!!」

あと1点労災選択式で得点していれば合格できたのに、得点できずに不合格。

一気に気が抜け、勉強のやる気が失せてしまいました。

「こんな試験やめてやるー」

11月の合格発表から、しばらく社労士試験から完全に離れました。

12月頃からは、仕事では年末調整等の繁忙期に入りましたので、本業に打ち込みました。

年が明け、1月中は、給与支払報告書の作成・提出、そして税務署への法定調書等の作成・提出に大忙し。

それが終わると、今度は個人の確定申告の時期へ突入しましたので、3月いっぱいまで社労士試験の勉強とはおさらばしました。

1点差で試験に落ちると、「惜しかったなぁ、あとちょっとだから来年はがんばるぞ!」

という気持ちが全く沸かず、むしろ本当にやるが気なくなります。

不貞腐れて完全に現実逃避し、しばらくは社労士試験のことを考えない毎日を送っていました。

社労士試験の結果がどうであれ、あいかわらず本業の会計業務に身を粉にする毎日が続いておりました。

いまだにわからないことがたくさんあり、上司からは

「まだわからんの?」

という冷たい視線を浴びるきつーい毎日を送っておりました。

ただ、厳しい職場でしたが、あらためて税理士の先生(上司)は本当にすごいと思っていました。

数字を見ただけですぐに異変を感じる感覚の鋭さ。

「ん?なんかここの数字変な気がする。〇〇と〇〇をもう一度確認してみて。たぶん〇〇の処理が間違ってるかなと思う」

数字を指摘されて再度確認してみると、上司の言う通りの間違えをしていることに気がつくのです。

この数字を見た時の感覚には、毎度毎度「さすが先生!!」と感動ものです。

同時に、

「この先税理士事務所でやっていくには、ここまでの感覚をも求められるのか。自分に想像できるかなぁ・・・」

とへこみ自分に自信が持てなくなることも多かったです。

税理士事務所を退職することになる

税理士事務所に入所してたくさんのことを学びました。

簿記、会計仕訳、法人月次処理、法人決算作業、個人の確定申告、年末調整、給料計算、人事労務のおおまかなイメージ。数えたらきりがありませんが、税金について全くのド素人の状態から、少なくとも一般の人よりは税についてわかるようになりました。

これは大きな前進です。当初税理士事務所に入った動機も、よくわからない税金の分野についてある程度わかるようになる、というものだったので、一応の目標は達成できていたのです。

前年の11月に社労士試験の合格発表があり、不合格となってしばらく本業の会計業務に専念してきましたが、年を明けて事務所の繁忙期である個人の確定申告が終わったところで、税理士事務所と退職することになりました。

まぁ、いろいろありまして(;^_^A

詳細書けませんが、一つの区切りをつけるために退職の道を選んだのです。

今振り返ると、この決断が今の自分へとつながる第一歩だったように思えます。

長い人生、ターニングポイントとなる出来事がいくつかあると思いますが、私の場合、この決断がひとつのターニングポイントだったと思います。

社労士試験の勉強を再開する

税理士事務所を退職した後に何をするのか、特に何も決めずに辞めました。

というより、退職後に何かやりたくて辞めたわけではなく、やむを得ずこのタイミングで辞めざるを得なかったので辞めたというのが正直なところです。

したがって、退職後のことをゆっくりと考える間もなく辞めたので、

「さてどうするか」

という心境でした。

(実はこのころ妻と結婚したので、無職の自分をどう相手の親に説明するか、そっちのほうが頭を悩ませてました(-_-;))

ひとまず、ここ数年の激務(肉体的・精神的)で酷使した身体を休ませることをしながら、うっすら、「税理士事務所勤務の経験をもとに、どこかの企業の総務課にでも就職しよう」と考えだしました。

身体を休ませるために1~2週間ほどたっぷり睡眠をとり、おいしいものを食べ、いろいろと在職中にできなかったことをやっていたらなんだか体調がよくなり、いろいろと将来のことを考える余裕が出てきました。

「無職の自分を温かい目で見守ってくれている妻のためにも、いつまでも休んでいるわけにはいかない。どうすっかな??」

そんな時、前年に1点差で落ちた社労士試験のことを思い出しました。

時は5月のゴールデンウイークころ。

社労士試験の申し込み期間はだいたいゴールデンウイークが終わったころなので、「まだ申し込めるな」と受験情報を確認しました。

あとは、やるかどうか。

前年の11月から翌年の4月まで社労士試験の勉強から遠ざかっていたので、正直、「今から8月の本試験に間に合わないのでは」とも思いました。

しかし、「仕事は無いけど時間はある!」と前向きに考え、ダメもとで8月の社労士試験合格を目指して勉強を再開しました。

ながらく社労士試験から現実逃避をしていた私ですが、半年の時を経て、社労士試験受験2年目がようやくスタートしたのです。